久しぶりのブログだが、せっかく書いたブログに張り紙。

そろそろ終わりにしようと思っていたのだが、反応しないページが一枚貼り出されて書いたページにアクセス出来ない。パソコンは閉じたままで携帯だけの暮らしだったのですべからく忘れている。また、書き直すことになったが、さして書くべきことがあるわけではなくのんびり暮らしているどこでも同様だろうと思うコロナ下の暮らしである。木々たちが葉を落とし冬の準備をする中、今年入れた山もみじのももちゃんを載せることにしよう。

 

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植木やさんは赤くなると言っていたけれども今年は植え替えたのでいつものようには紅葉できなかった。新苗を植えて4年経っている桜は紅葉できたが、山もみじは黄色から山吹色になってもう少しというところで寒気と風で散ってしまった。来年を楽しみにする。水を貯めるダムを高床で作ってあるので冬仕様でなにかかけてやる必要があるかもしれない。ダムの上の土を触ると細いひげ根がたくさんでる。山もみじは1年を通して安定した容姿を保った。大きさは桜よりは小さいが樹齢はもっと経っているのかもしれない。いつか植木やさんに聞いて見たいことの一つである。

 

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今年オリンピックの頃に白樺の下葉が褐色になった。もっと早くに気が付いていればよかったのだが褐色の葉にびっしり虫が付いていた。毎日1時間白樺を中心に水やりをした。山もみじにせっせと水をやりながら強健と思っていたので白樺にあんなに虫が付くとは思っていなかった。元気がないなと気づいて見てみると葉は褐色虫も居る。それから、白樺山もみじ全体の水撒きとなった。1月ほどでバランスを戻しその後はすずめたちが卵や成虫を食べてくれて峠を越した。そんな訳で今年は白樺は伸びなかったが幹は一廻り大きくなった。

 

 

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昔はインコを飼っていたが帯広に来てから他界してしまった。毎日庭に出るたびにバードテーブルの側を通る。石狩ではオンコの生垣がすずめたちの住処だった。帯広では大きくなったオンコとバラ垣が住処である。すずめとの距離は帯広ではとても近いので私は葉っぱ同様に認識されているように感ずる。バードテーブルも窓から1メートルほど。来る鳥もすずめが主でたまにひよどりがくる。しかし、ひよはのんびりしているのでしばしばハイタカに襲われる。さすがにひよもめったに来なくなった。それにしても、ハイタカは水平に一気に飛んでくる。決まって薄曇りの日でオンコの中で待ち伏せる。今年はハイタカも撮ってみることにする。カメラもほとんど撮らなくなった。また、ブログを書きながら写真も撮ることにしよう。昔はいつでもカメラと一緒だったが重いと感ずるようになってしまった。

 

 

がたがたと工事の車が行き交う。

昔の住宅地にぽつぽつとアパートが並ぶようになった。今年はがたがたと工事の車が行き交うようになった。2軒の住宅が建築中である。重機が通ったのでカメラ片手に出かけてみて住宅の建設中であることが解った。小回りの効く小型の重機はトラックに載っていた。もう基礎も出来上がっているようであった。たまに散歩にでるが知らなかった。しかし、帯広のような小豆ビートなど農業が主要な産業である街で雇用は伸びているのだろうか?おじさんの話では3階建てだということだったので、この辺りに3階建てはないよと聞くと許可が出てるからという返事だった。

 

 

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確かに建築許可は貼り出されていた。

おばあさんになったのでなにごともゆっくりで、確かめてみたい。

帯広の都市公園もなかなかいい。

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住宅2個分ほどの都市公園である。名前はちびっこ広場、公園の道路側には個人の住宅で育てられたと思われる植栽が植え込まれている。そのアットホームさが気持ちを穏やかにする。高齢者が帯広を去る時など共に暮らして来た木々が公園などの公共の場で他の市民の為に安らぎを与えるならば望外の喜びだろう。家庭で庭を眺める感覚で公園を訪れることができる。都市公園の新しい型である。

 

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帰り道もう一つの大心公園によってみた。ここは都市公園として整備されたと思われる。奥の方に大小二つの築山があり冬ならばこどもたちのそり滑りに最適である。その手前に大きな木が2本あり1本が柏だった。柏の葉っぱは秋になれば大きくなるので葉っぱもどんぐりも子どもたちには恰好の遊び場になる。

 

ぶらぶら歩くと見慣れた場所に出た。昔は個人の住宅だったが今は焼肉やさんになっていた。当時からこの植栽だったのかは解らない。

 

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支笏湖周辺で暴風の為に倒木がそのままになっていることがあるが、この木の場合は野趣を好んでこの植栽の姿にしたのだろうと察する。半分の根が土中にあり枝を支えている。

 

30分の歩きも悪くはない。

 

 



 

苗屋さんからぶらぶら歩く

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ちびっこ広場

住宅2個分程の都市公園である。高齢者が帯広を去る時に共に過ごした植栽が公園などの公共の場で市民の穏やかな日常を支えるならばどんなにはいいであろうか。

ここの植栽は個人の住宅で暮らしを支えたであろうと察する。公園の端に置かれたベンチから眺めると穏やかな日常が見えてくる。

 

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途中もう一つ大心公園という都市公園があった。名前には由来がありそうであるが、公園の奥に大小二つの築山がある。冬になれば子どもたちのソリ滑りに最適である。手前に2本の大きな木があって1本が柏であった。秋になればどんぐりや大きな葉っぱの柏の葉っぱの上を歩くかさかさしたふわふわの歩きここち。とかちの子どもたちの楽しみである。この公園を通って家に向うと昔は個人の住宅であったが今は焼肉屋さんになっていた見慣れた場所にでた。

 

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台風などの暴風で支笏湖周辺などでみられる倒木に似た植栽があった。半分根が地面で半分が露出している。いわば野趣を演出したものだと思うが、その半分の根から太陽を求めて枝を伸ばしていた。それでもこれだけになるには相応の時間が経っているだろう。コロナで人との距離を置く暮らしでも散歩で木々と出会うのを楽しみにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

生活空間に在るものも捨象してしまうものがある。

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車に乗らなくなってみることが少なくなった道路表示

車を運転していた時ならば見慣れた注意喚起の表示なのだが、運転から遠ざかっていると全く道路標識に目がいかない。こんなのがあったっけと写真に撮った。思えば、自分にとって意味があるかで捨象してしまうことも多い。しかし、犯罪に関わるものはそうはいかない。高齢化層が1/4の時代になってみればひとり暮らしの高齢者も多い。明らかに他者が入っていると感ずることがある。入りましたと解るようなサインを置いて行くからだ。靴の置き方一つそれぞれの家で決まっているが、靴を重ねる、スリッパを重ねる、植木鉢の土をスプーンのようなもので掘り取って穴を開けて行く。そして、その土は自分の家の庭に捨てる。その他多くの経験をされた方も多いだろう。単独ではなく複数で交代制になっている。これから時系列で追ってみようと思う。

ここ数年ラジオ深夜便がともどち

携帯がお客さんお商売に乗っ取りで使われていると知って携帯を止めることにした。テレビもない暮らしだったので、携帯のWifiで繋ぐPCから世界と繋がっていた。家族とのやりとりは葉書と公衆電話になった。学生時代に戻ったような感覚でそれでも郵便は3日で東京に届くし、知りたいことやアマゾンが使えなくなって欲しいものがあると公衆電話まで歩いた。広島まで走りに走ったビックホーンは車検切れで眠ったままだ。ビックホーンも乗りたかったが、修理で直しても翌日動かなくなった。無論修理に問題があるわけではなく動かなくする手法はその道にはあってひそひそとそんな声も漏れ聞こえてきた。以来ビックホーンもユーノスも安心のお庭番となっている。

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2021,2,5. ヒヨドリ、カメラが気になります。

 

 

 

 

 

 

 

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