2022.4.29 3.11 で人々の権利関係はどうなったか?

居間の戸口に見知らぬ猫が座っている。近所の飼い猫だろうと思うがどこの猫で在るかは定かではない。

 

何故座っているのかも解らない。

何年か前に首の周りの毛が鋭利な刃物で剥ぎ取られて買い物用のショッピングカーに蹲っていた猫だろうか?玄関に出ると物凄い異臭で戸を開けて振り返ると猫である。驚きで身体中に糞尿が付いたのだ。私はバケツ一杯のお湯を沸かしきれいな雑巾をこれもいっぱい用意した。しかし、初めて見る猫なので身体を拭かせてくれるかと話してみた。威嚇はしなかったので了解したと考えて後は傷から遠い足や手から始めた。玄関を開けながら拭いていくと異臭は少なくなった。さて消毒だが、こんな事態を予測していないのでマキロンが充分あるかだった。しかも酷い怪我をして皮膚が剥がれている。我が家でも2匹の猫を飼っていたが、猫は喧嘩が多くていつも怪我対応は二人がかりだったのだから、一人で治療ができるかであった。猫は傷対応をしなければならないと理解していた。あるだけのマキロンと消毒綿で傷を拭いた。本当は獣医さんに見せるべきだがその余裕はないので、かって獣医さんに通い続けた時のアドバイスでヨードチンキを常備していた。しかし、このヨードチンキは痛いのである。私はオリーブオイルをヨードチンキに混ぜて塗布した。なんとか翌日持ちこたえて出ていった。以来どうなったかと思っていた。あのニャンならば良かった。

 

 3.11 で人々の権利関係はどうなったか?を書こうと思っていた。

あらゆるものを流し去った3.11だが、それで人々の最も基本的の土地や身分などの権利関係はどうなったのかが気になっていた。法務局に行った折もし登記簿などが無くなった時の相続はどのような手続きになるかを聞いてみた。煩雑ではあるが、可能であった、その手続きについて説明してくれた。

 

何故そんなことを聞かねばならないかというと、帯広で母の家に住むようになって<この家はいい家だ。><この家を盗る>終いにはよくありげな話まで登場した。話している人も解る音量でどうして私の家に届くのかは解らない。

 

かくして何らかの対策を取らねばならなかった。

 

相続を考えているうちに子どもたちは既に自立している。この土地は両親や家族が住んだ思い出が詰まっている。出来るだけそのままの形で公共の空間にしたいと思うようになった。住まいは解体し2、3台の駐車場とベンチがあればお茶飲みの場所にもなる。これから帯広を離れる人も多くなる。そんな時に公共も参加した柏っこクラブのようなものがあれば草取りから堆肥入れまで自主管理できるではないか。

 

 

今日も写真添付ならず。