自足する高齢者に共同を公共が演出できないものだろうか?

4番目に開花した桜。静匂桜は荒川土手で自然交配して生まれたと言われている。朝二階の窓を開けると一晩で立ち込めた香りが穏やかに上がってくる。香りはこのひとときの恵みであとは花弁に近づかなければならない。花は大ぶり花芯は黄緑葉は赤茶、姿が他の桜の様に横への拡がりより直立的である。同じ年数が経っているが、日当たりも建物の影になって他の桜の半量くらいなので姿もかなり小さいが花の付きは他の桜に劣らなかった。

 

5月に入ってバラの植え付けを始める中旬までに全体に堆肥を入れなければならない。昔のようにエイや!とは行かず、予定通りに行かなければ今日は1個堆肥を入れるで、時間は充分ある、急がないと切り上げる。負担のかからないやり方に修正するのが自然になってきている。昨日はラジオで老々介護のご夫婦の話だった。ゆくさき90代を想定してひとり暮らしを始めたわけではなかったので、おいおい考えていかねばならない。

 

自足する高齢者が他者とまた繋がるのが介護というのが現実のようであるが、その間にもう一つのぷらん共同を公共が演出できないものだろうか?

 

今年の課題でもある。