2023.4.18 悪魔の手から書こうと思っていたのだった。

最初に悪魔の手と呼んだのは喜茂別時代仕事で撮りためた写真2000枚が消えた時だった。しかも今使うという時に。札幌から来てもらっていたシステムの開発者はこともなげにもう一度撮って下さいと言った。確かにそれしか方法はなかった。同じものが撮れる訳はなく一度撮った写真のイメージを捨てながら違う切り口を探す。喜茂別は1日として同じ日がない写真にするのには絶好の場所だった。ここで写真を撮る楽しみを学んだ。

 

そんな私にも転機が訪れて仕事を辞めた。のんびり時間のできた私は思い切りMacで遊んだ。ヤフーのオークションで明治大正の着物を買い壁に掛ける。愛犬凝ると毎日3度の尻別川沿いや目名川の散歩。今までは植物図鑑でしか会わなかった植物が自生しているところにエゾヤチネズミが跳ね凝るが押さえたり、エゾタヌキが横切って凝るが追いかけて行ってしまったこともあった。一見のろのろたぬきに見えるのに絶壁のような急峻な斜面を登り凝るは追いかけて行ってしまった。帰ってこない凝るを探しに行こうと準備していると1時間後玄関に凝るが帰ってきた。小さな窪みや巣穴に帰ったのだろう。それでも1時間追いかけていたのはさすがです。凝るにも無心に獲物を追う野生が生きていた。

Mac三昧の私のMacに検索した覚えのない画面が出るようになった。ヒットラーの遺言というものだった。ここに至るまでにヒットラーの死がエバ共々男女の区別さえできぬほど焼けていて、それを確認したのは最初に入ったロシア軍という多分、Bloombergだったと思うが。1紙だけでなく何紙か表示された。当時の報道を順を追うような記事と、実は南米奥深くで生き延びドイツのおじいさんと呼ばれていたという話まで。

暫く前「今日われ生きてあり」知覧特別攻撃隊員たちの軌跡 神坂次郎著を読んだ。日本軍では敵前逃亡は死刑であるが、ドイツ軍のトップが待機させたUボートで脱出し、残した遺言を後生大事にすべきだろうか?しかも、アジアから次の世界を拓くおばあさんが出るなどと。

「今日われ生きてあり」知覧特別攻撃隊員たちの軌跡 は特別攻撃隊員たちの念いとそれを支えた知覧の人たちのあたたかさを伝えている。