2022.5.2 木々が芽吹き帯広は晴天。すずたちが巣作りに忙しい。

400メートル先のスーパーに行く途中に道路沿いにタムシバが植えられていた。そんなに大きくはないので同じ頃の木に見える。しっかり花を見たのは今年が初めてなのでなんとも言えないが不思議な花である。花は大きく花弁は立ち上がる。Webで見ると山の中に20メートルの大木になっての立ち姿は勇壮であった。秋には赤くぎっしり種子をあけびのように付けるのであるから植木屋さんもなかなかの趣味人と見る。

 

 

 

4本植えた桜はアーコレード、静匂桜、10月桜、吉野枝垂れ桜であるが吉野枝垂れ桜は寒さに弱いのだそうで2度芯が折れてしまった。植木屋さんはだんだん寒さに慣れて行くといったのでその力が着くまで私は冬囲いでこの桜だけはむしろで冬囲いをしている。芯を脇の枝から立ててこれから成長を待つ。枝垂れ桜なので横枝は伸びやかである。房咲きの薄いピンクから日が経つと白に近く。

 

 

 

静匂桜が桜の中で建物の影になる場所に植えられているので同じ年数でも大きさは半分くらいである。しかし、荒川土手の自然交配種から見出された匂桜と呼ばれるだけに二階の窓を開けると下からの香りがどっと流れ込む。

 

 

 

 

今年の春の楽しみはもう一つ増えた。朝日が当たり日が上がるとオンコの影になるところに植えられたウド、さてどうなるだろうか?ウドは日当たり半日陰とここの3箇所に植えて収穫の時期をずらしている。オンコの影になるウドは1メートル以上離れた日当たりのいい場所に地下茎を伸ばして見事に発芽した。写真が下手で新芽がボケているが新芽です。今年からこの新芽がメインになっていくだろう。庭ででる枝を積み肥にする場所にしているところを見事に回避して最高の日当たりに発芽した。

 

 



 

2023.4.20 アーコレード桜が咲いた。花芯はグリーンアイだった。

お天気の良い日は二階の部屋から庭を眺める。毎日見ているのにはっとすることがある。通路にニラを蒔いたりしたので細い道をゆらゆら歩く。反対側にも蒔こうと耕して均した。そのふかふかの床にまるで苗床のように窪みが並んでいる。ちゃっかりすずめが砂浴びをしているのだった。そのすずめに更に私は驚いた。みなさんは知っていたことかもしれませんが、芽吹いたといってもほんの少し顔を出した白樺の新芽をすずめがちぎって食べていた。柔らかく香り高く美味しいだろうと思う。白樺の幹から出た枝の付け根から樹液が出ている。すずめはこれも美味しそうに飲んでいる。メープルシロップほど甘くはないが香り高く美味しいのだそうだ。はこべも出ているがそんなにすずめが食べているように思えない。冬の厳しさを越して春虫が出てくるまで白樺は大事な食料庫。

 

あちこちですずめたちが新芽を食べ樹液を飲んでいる。

 

こぶしの仲間のタムシバは3年目になってたくさんの花を付けた。こぶしの花芯は黄色であるがタムシバはピンクだった。花びらも大きくすっくと立っている。

 

 

 

私が植え込んだ木々は僅かで父母の50年来のツツジが庭のメインである。子どもたちも年齢を重ね自立しているので私はこの家も父母の庭も子どもたちには相続しない。

無論売買もしない。

 

 

 

 

 

2023.4.18 悪魔の手から書こうと思っていたのだった。

最初に悪魔の手と呼んだのは喜茂別時代仕事で撮りためた写真2000枚が消えた時だった。しかも今使うという時に。札幌から来てもらっていたシステムの開発者はこともなげにもう一度撮って下さいと言った。確かにそれしか方法はなかった。同じものが撮れる訳はなく一度撮った写真のイメージを捨てながら違う切り口を探す。喜茂別は1日として同じ日がない写真にするのには絶好の場所だった。ここで写真を撮る楽しみを学んだ。

 

そんな私にも転機が訪れて仕事を辞めた。のんびり時間のできた私は思い切りMacで遊んだ。ヤフーのオークションで明治大正の着物を買い壁に掛ける。愛犬凝ると毎日3度の尻別川沿いや目名川の散歩。今までは植物図鑑でしか会わなかった植物が自生しているところにエゾヤチネズミが跳ね凝るが押さえたり、エゾタヌキが横切って凝るが追いかけて行ってしまったこともあった。一見のろのろたぬきに見えるのに絶壁のような急峻な斜面を登り凝るは追いかけて行ってしまった。帰ってこない凝るを探しに行こうと準備していると1時間後玄関に凝るが帰ってきた。小さな窪みや巣穴に帰ったのだろう。それでも1時間追いかけていたのはさすがです。凝るにも無心に獲物を追う野生が生きていた。

Mac三昧の私のMacに検索した覚えのない画面が出るようになった。ヒットラーの遺言というものだった。ここに至るまでにヒットラーの死がエバ共々男女の区別さえできぬほど焼けていて、それを確認したのは最初に入ったロシア軍という多分、Bloombergだったと思うが。1紙だけでなく何紙か表示された。当時の報道を順を追うような記事と、実は南米奥深くで生き延びドイツのおじいさんと呼ばれていたという話まで。

暫く前「今日われ生きてあり」知覧特別攻撃隊員たちの軌跡 神坂次郎著を読んだ。日本軍では敵前逃亡は死刑であるが、ドイツ軍のトップが待機させたUボートで脱出し、残した遺言を後生大事にすべきだろうか?しかも、アジアから次の世界を拓くおばあさんが出るなどと。

「今日われ生きてあり」知覧特別攻撃隊員たちの軌跡 は特別攻撃隊員たちの念いとそれを支えた知覧の人たちのあたたかさを伝えている。

 

 

2023.4.14 悪魔の手、書こうと思いながら寝てしまった。

 

帯広競馬場の周りは湿地になっていて木道がついている部分と遊歩道になっている部分がある。私はこのところマップで歩いて34分の道をぶらぶらと37分で歩く。帯広に住んでいた時期には犬の散歩で帯広川まで行き、川に降りここでウグイの群れを見たり犬と一緒に川に入ったり身近な川だった。この川も何度か氾濫して家の近くまで水がきたことが何度かあった。河川改修されてすっかり静かな川になった。昔を知るものには水量が少なく痩せた川に見える。それでもかもの番が泳いでいた。河畔林の柳も少なくなってパークゴルフ場になっているが、元気にゲートボール、パークゴルフとみんなで楽しんだのは母たちの世代である。私たちの世代も楽しんでいるのかこんど時々散歩にでかけよう。パークゴルフは確か幕別かどこかが発祥の地と聞いていたので、一応調べると幕別町観光物産協会のページに〈1983年6月に誕生したパークゴルフは、鳥取県東伯郡泊村(現在の湯梨浜町)で考案されたグラウンドゴルフをヒントに発案されました。〉とあった。

 自足してひとり暮らしを楽しむ身にはみんなでわいわい競いながら楽しむゲームも縁遠いものになった。

 

帯広競馬場は所有者は十勝農業共同組合連合会 管理者は帯広市である。

帯広競馬場の歴史も明治30年になっている。ゆっくり見ることにする。

 

昨日はニラの種を蒔いた。発芽できるかは定かではない。去年どこからか飛んできた種がツツジの根元で芽吹いていたのでそれは通路に移植してみた。

 

去年咲けなかったタムシバは蕾を付けた。近くでは満開なので3年目の若木はゆっくり開花を待つことにする。意外に大きな花である。

 

2023.3.10 こんどはkorutomokuが消える。ま、適当に。

korutomoku’s diary

はてなブログが書けなくなって新たに開設したのだが、一体何をやっているのかという感じだが、あれが消えこれが消えと忙しい。

私のiPhoneは1代目は喜茂別時代にソフトバンクのキャンペーンで家族から貰い、英語の辞書が入っているのでいまでも使っている。

2代目はマックミニで使っていたが、ある時からつなぐと流暢な英語で off to cautionと若い男の声がするようになった。

 

そんなことで携帯を止めWifiの使えるとかちプラザに出かけたりして私のブログは繋いできたのであった。

 

昨日画面に以下の表示が現れた。3代目にして初めての表示である。

 

怪しい感じです。

2代目のiPhoneがoff to cautionと言い出した時はとかちプラザでWebを使っていた。そんな時ロビーのテーブルで音楽を再録音するため携帯を2台並べて使っていた。隣のテーブルの若いアメリカ軍兵士と思われる人が叫んだのである。<携帯が違う!>私の家で私の名前を使ってお商売をする人がいるとうすうす聞いてはいた。多分彼らはなにがし予測して私自身を知るためにコンタクトを取った人が別の入り口から入ってきて上官と若者は出て行った。

 

かくして私はマックミニとiPhoneを玄関のたたきにぶつけて壊したのだった。

 

帯広には60年ほど前に浦幌に<ロランC>局が設置されている。当時反対運動もあって中学生だった私にも僅かに記憶がある。Webには<ロランCは米国防総省が核攻撃命令を伝える航法支援システム>とあった。

 

2013.2.6十勝太ロランC局は廃止されGPSに移行している。

 

千歳市のH.Pには以下の項があった。

千歳基地での「米軍再編に係る訓練移転」受け入れの経過(概要)

 

千歳基地においては、平成20年以降計11回の訓練移転が実施されている。

 

 

2023.3.10 こんどはkorutomokuが消える。ま、適当に。

korutomoku’s diary

 

はてなブログが書けなくなって新たに開設したのだが、一体何をやっているのかという感じだが、あれが消えこれが消えと忙しい。

私のiPhoneは1代目は喜茂別時代にソフトバンクのキャンペーンで家族から貰い、英語の辞書が入っているのでいまでも使っている。

2代目はマックミニで使っていたが、ある時からつなぐと流暢な英語で off to cautionと若い男の声がするようになった。

 

そんなことで携帯を止めWifiの使えるとかちプラザに出かけたりして私のブログは繋いできたのであった。

 

昨日画面に以下の表示が現れた。3代目にして初めての表示である。

 

怪しい感じです。

2代目のiPhoneがoff to cautionと言い出した時はとかちプラザでWebを使っていた。そんな時ロビーのテーブルで音楽を再録音するため携帯を2台並べて使っていた。隣のテーブルの若いアメリカ軍兵士と思われる人が叫んだのである。<携帯が違う!>私の家で私の名前を使ってお商売をする人がいるとうすうす聞いてはいた。多分彼らはなにがし予測して私自身を知るためにコンタクトを取った人が別の入り口から入ってきて上官と若者は出て行った。

 

かくして私はマックミニとiPhoneを玄関のたたきにぶつけて壊したのだった。

 

帯広には60年ほど前に浦幌に<ロランC>局が設置されている。当時反対運動もあって中学生だった私にも僅かに記憶がある。Webには<ロランCは米国防総省が核攻撃命令を伝える航法支援システム>とあった。

 

2013.2.6十勝太ロランC局は廃止されGPSに移行している。

 

千歳市のH.Pには以下の項があった。

千歳基地での「米軍再編に係る訓練移転」受け入れの経過(概要)

 

千歳基地においては、平成20年以降計11回の訓練移転が実施されている。